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33歳ADHDの男性が働くことを恐れる深刻事情 20代「正社員」の恋人に養ってもらっている

33歳の男性
発達障害のひとつ「ADHD」と診断されたケンジさん(左)と、彼を支えるチエさん(編集部撮影)

今回紹介するのは「交際5年目になりますが、彼は社会復帰できず無職のまま5年が過ぎています。彼がADHDかも?と思い始めたのが2年前で、病院に行ったらやはり大人のADHDでした。何に困っているかというと、一番はお金です」と編集部にメールをくれた女性の恋人、33歳の男性だ。

高校には進まず、地元の舗装会社に就職した

最近、本連載で発達障害のある人を取材する機会が急増している。なぜ、増えたのか? 発達障害があると貧困に陥りやすいのか? 彼らに話を聞きながら、私の中にはいくつもの疑問がわいた。

あるとき、ひきこもりの人たちを支援するNPO法人の関係者からこんな話を聞いた。

「先日、30代になる子どもが発達障害と診断されたという父親からの相談を受けたんです。ただ、どうにも話に脈絡がなくて……。もしかしてこの父親も発達障害かな、と感じたんです。でも、彼は会社員で、定年退職まで問題なく勤め上げているんですよね。

考えてみると、20年前、30年前は、例えば『腕はいいけど、不愛想な板金工』とか、『人付き合いは苦手でも、経理を任せたらピカ一』とか、そんな人がいたなと思って。昔は、多少変わり者と思われても、普通に社会や地域に居場所があった。でも、今は、学校でも職場でも、高い対人スキルばかりが求められるようになってしまいましたよね」

社会に余裕がなくなった、とこの関係者は言った。「大人の発達障害」が増えたのは、単に医療・診断技術が向上したからだけではなく、社会が変容したからなのか。

今回、話を聞いたケンジさん(33歳、仮名)も2年前に、発達障害のひとつ、注意欠陥多動性障害(ADHD)と診断された。この5年間、仕事に就けていない。


出身は東北のある地方都市。小学生の頃から、じっとしていることができず、授業中も教室内や廊下を歩き回る子どもだった。いじめには遭わなかったが、教師からは「怒られた記憶しかない」。中学を卒業する頃、親族に借金トラブルがあることがわかり、「だったら、自分も早く働こう」と、高校には進まず、地元の舗装会社に就職したという。

会社では、早朝に事務所を出発し、山奥の現場で、翌朝までぶっ通しで作業をするようなシフトが頻繁にあった。給与は手取りで約10万円。手渡しで、明細もなかったので、何が、いくら天引きされていたのかわからない。雇用形態もわからない、という。

「朝5時に出発して、帰りが翌日の朝10時とか。吹雪の中、スコップで路面のアスファルトをひたすらならし続けるんです。落ちてきたドラム缶に手が挟まって、血をだらだら流しながら作業したこともあります。現場は罵声、怒声の連続で、同僚はよくグーで殴られてました。中卒で何にも知らなくて……。それが普通のこと、働くってことだと思ってました」

4年ほど働いた後、給料未払いの末に社長がとん走。その後は、工場派遣や引っ越し業、医療事務など10数回にわたって転職した。「(工場派遣時代に)体調が悪くなったとき、(責任者から)『医務室は正社員しか使えねーから、帰れ』って言われたんです。人間扱いされてないと思いました」と、ケンジさん。リーマンショックによる雇い止めも経験した。

遠距離恋愛の女性と同棲を始めた

この5年間、就職活動をしたこともあったが、一度も定職には就いていない。では、ケンジさんはどうやって生計を立ててきたのか。

ケンジさんは5年前、遠距離恋愛の女性と同棲を始めた。関東地方で暮らす女性の元にケンジさんが移り住んだのだ。彼女は会社員。彼はいわゆる“専業主夫”になった。

今回、編集部に連絡をくれたのは、その女性チエさん(27歳、仮名)だ。取材の席にはチエさんも同席。女性からの取材依頼は、本連載では、初めてのことだった。

チエさんは都内の私大を卒業後、正社員として働き始めた。年収は約380万円。取材の待ち合わせ場所を相談したとき、彼女は土地勘のない私のために、わかりづらい駅構内を避け、混雑具合や予約の可否まで配慮したうえで、あるチェーンの喫茶店を提案してくれた。

ケンジさんがADHDと診断されたのは、チエさんの勧めで、クリニックを受診したことがきっかけだったという。チエさんは同棲を始めた当時のことを、こう振り返る。

「(ケンジさんが)待ち合わせ場所にたどり着けないことが続きました。近くまで来ているのに、1時間くらい迷った末にやっと到着するんです。忘れ物もひどくて。コンビニで保険証なんかをコピーすると、しょっちゅう原本を機械に置き忘れてきました。あと、普段の会話でも、だんだん話題がズレていって、何の話をしているのかわからなくなっちゃう。私の質問の答えになってないよね、ということもよくあります」

喫茶店であいさつを交わすと、チエさんは「今日は、私が(ケンジさんの)通訳役です」とほほ笑んだ。聡明で気さくな印象だが、彼女の訴えの根底には、いつも怒りがあるように見えた。

最近、チエさんが激怒した相手は、ケンジさんをADHDと診断したクリニックの医師。この医師の治療は、薬剤処方が中心で、副作用がひどいと訴えても聞き入れられなかった。このため通院を中断していたが、障害者手帳更新のため、1年ぶりに受診したところ、医師から「今まで何してたの? ちゃんと発達障害の勉強した?」と言われたという。

チエさんは「終始上から目線のため口。私は発達障害のワークショップにも参加して、本も何冊も読みました。だからこそ、カウンセリングをしてくださいとお願いしたのに……。あれでは、ただの薬漬けです」と語る。

チエさんに促され、ケンジさんも薬剤の副作用のつらさについて「不眠と吐き気。3日間、眠れなかったこともありましたし、就職活動のために乗っていた電車の中で吐いたこともありました」と訴える。副作用の影響で自殺未遂をしたこともあるという。通院と服薬をやめてからのほうが体調はいいと、2人は口をそろえる。 

もうひとつ、チエさんが納得できないことは、ケンジさんが障害年金を受給できないことだ。年金受給には、①初診日の前日において、加入期間の3分の2以上、保険料を納めている、②初診日の直近1年間に滞納期間がない――というふたつの要件のうち、いずれかを満たしていなければならない。しかし、ケンジさんはどちらも満たしていなかった。

ケンジさんの、いわゆるブラックな職歴を考えると、保険料の支払いを脱法的に逃れていた会社もあるのではないかと、チエさんは言う。「でも、年金事務所で掛け合っても、『記録上、支払われていない』と言うだけで、それ以上、調べてもくれませんでした。障害は一生続くのに、将来にわたって一銭も受け取れないなんて……」。

同僚からは「別れれば?」

怒りの矛先は、自身の両親や職場の同僚にも向かう。ケンジさんのことを正直に打ち明けたところ、両親からは「そんな人には会いたくない」、同僚からは「別れれば?」と言われたという。「理解がない」と憤るチエさんを、ケンジさんが「自分が親でも同じことを言うよ」となだめている。ケンジさんの分も、チエさんが代わりに怒っているように見えた。

チエさん自身の価値観は、ケンジさんとともに暮らすことで、一転したという。「最初は彼に対して『働いてよ!』と怒っていました。なんて自分に甘い人なんだろう、って。でも、今は、できないものは、できないんだな、と。周囲からは怠けているように見えるかもしれないけど、本人はできないことに悩んでいるんだとわかるようになりました」。

ケンジさんの魅力は何ですか? そう尋ねると、チエさんは間髪入れず「イラスト。絵を描く才能です」と答えた。そして、スマートフォンに収めた、ケンジさんの作品の写真を見せてくれた。アニメのキャラクターや浮世絵をモチーフにした水彩画の出来栄えは、確かにすばらしい。特に色彩の濃淡の美しさには驚かされた。

アニメキャラクター「エヴァンゲリオン」と都会の風景がモチーフだという(イラスト:ケンジさん)

こうしたイラストを「百均で買ってきた材料で、さらさらっと描いちゃうんです」という。将来は、この才能を生かせる仕事に就いてほしい、それがチエさんの願いだ。

今回、チエさんに同席をお願いしたのは、親族や恋人など親しい人にとって、発達障害のある人はどんなふうに見えるのかを、知りたかったからだ。結果は一長一短だった。

チエさんに話を聞き、発達障害のある人の生きづらさに寄り添えるかどうかで、見える光景は180度違うことが、あらためてわかった。一方で、肝心のケンジさんの生きづらさが、私にはいまひとつピンとこなかった。

怖いのは、発達障害の2次障害

ケンジさんは話をしながら、たびたびチエさんと視線を交わした。それは、まるで「俺、脱線してない?」と確認をしているようだった。ケンジさんの話に、チエさんが助け舟を出すことも。このため、少なくとも取材では、ケンジさんからは発達障害のある人に特徴的な意思疎通の難しさを感じる局面が、ほとんどなかったのだ。

チエさんが間に入ることで、障害の深刻さが見えづらくなったのか。チエさんの存在のおかげで、障害の症状が改善されたのか。私には判断がつきかねた。

これに対し、チエさんは「怖いのは、発達障害の2次障害です。発達障害の人は過去に受けた差別や排除の経験から、うつ状態などになりやすい。(ケンジさんも)自己肯定感が低く、よく『自分はゴミみたいな存在』と言ったります」と言う。ケンジさんは働くことができない理由について「最初の会社での経験がトラウマになっているようにも思います。単にビビっているだけなのかもしれませんが……」と説明する。

現在、2人にとって、一番の困りごとは生活費だという。確かに世帯年収400万以下では家計はカツカツ。ケンジさんの医療費もバカにならない。数年前、ケンジさんが消費者金融から数十万円の借金をしていることがわかったときは、真剣に心中を考えたという。

ふと、冒頭のNPO法人関係者の話を思い出した。多様な人々を受け入れる“余裕”があった往時なら、ケンジさんは居場所を見つけることができたのだろうか。チエさんはどこまでも共感的、支持的に寄り添う。ただ、それは本来、社会が示すべき寛容さだとも思うのだ。


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