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きつい離婚の後に待っていた「最高の晩婚」 10年間、姑と同居したあげくに夫が浮気… 

つらい離婚の後に待っていたのは……

つらい離婚の後に待っていたのは……。(イラスト:堀江篤史)

品川駅から電車で10分。川崎市の武蔵小杉駅に久しぶりに降りた。5年ほど前までは高層マンションばかりの殺風景な駅前だった記憶があるが、商業施設や街路樹も整備され、人工的ながらも利便性の高そうな町に変貌している。

今回はこの川崎市内に住む共働き夫婦に、駅近くのカフェで会うことになっている。妻の小野ゆかりさん(仮名、41歳)は10年間もの結婚生活を経て離婚し、2年前に現在の夫である雅彦さん(仮名、46歳)と再婚したという。実に興味深い「晩婚さん」だ。

いろいろ過激だった、前の結婚生活と離婚

最初は緊張気味で表情がこわばっていたゆかりさんは、ジーンズ地のシャツというカジュアルな服装がよく似合う気さくな雰囲気の女性である。少しずつ話を進めていくと人懐っこい笑顔が見え始めた。傍らの雅彦さんはいわゆる強面。ボーダー柄の長袖Tシャツというかわいい服装でなかったら、こちらが緊張してしまうかもしれない。

雅彦さんの前ではあまり話したくないかもしれないが、ゆかりさんの初婚の話から聞いておきたい。5歳年上だったという前夫とはどこで知り合ったのだろうか。

「物流関連の会社で派遣社員として働いていたときに知り合いました。私が25歳のときだったかな。結婚したら東北の地元に帰る、と言われたので『日本国内ならどこに住んでも一緒かな』と思ってついて行きました。実際は、(首都圏での生活とは)全然違いましたね。電車が通っていないし、最初は友だちもいません。自分の地元が恋しいといつも思っていました」

ゆかりさんは保育士の資格があり、東北地方でも保育園の働き口を見つけ、そこで仲間もできた。ただし、子どもがいないのに義母と3人暮らしは心地良いものではなかったようだ。

「(義母は)きさくでいい人かな、と初めは思ったのですが、すごくケチなことがわかったんです。トイレの下水料金を節約するために、庭で用を足すような人でした……」

共同生活をするにはユニークがすぎる義母であるが、ゆかりさんは「他人と暮らすというのはこういうこと」だと我慢をした。その後、耐え難い出来事が起きる。夫の浮気だ。

「彼はひとりでテニスサークルに入っていて、仲間と一緒に飲みに行くようになったのです。遠いときは泊まってくることも増え、問い詰めたら『好きな人がいる』とすぐに白状しました。20代後半のバツイチ女性です」

受け止めてくれた友達と実家の存在

妻を実家に同居させた挙句に自分は浮気する……。母親以上に無茶苦茶な男性である。ゆかりさんはすぐに離婚を決意したが、保育園での責任があり、すぐに辞めて地元の川崎市に戻ることはできなかった。ウィークリーマンションを借りて夫と義母との家を出て、3月末までは一人暮らしを続けた。

「保育園の仲間が引っ越しを手伝ってくれたし、遊びに来てくれたりしました。助けてもらったと今でもありがたく思い出します。それでも、『生きていてこんなに不幸なことが起こるんだ』と思ったぐらいに落ち込みましたね」

春になってようやく川崎市の実家に戻ることができた。両親は35歳の出戻り娘を「あっさり」と迎え入れてくれたという。帰る場所があるというのはありがたいことだ。ちなみに筆者も5年前の12月に離婚をして、長く一人暮らしをしていた町(東京・西荻窪)に戻ったことがある。馴染みの不動産屋で良いアパートを見つけてもらい、町の仲間には部屋作りを手伝ってもらった。西荻窪という温かい町がなかったら離婚の決断すらできなかったかもしれない。

地元に戻ったゆかりさんは、保育園で働きつつ遊びまくった。特に、昔から好きだった宝塚歌劇団にハマったという。2年後、いちばん応援していた団員が宝塚を卒業したことをきっかけにして、「次(のステージ)に行こうかな」と再婚を考え始めた。

「また結婚したらどうか、と勧めてくれる年上の方が周りにいたことが大きいですね。でも、ネット婚活ではプロフィールを入れただけで見ず知らずの男性たちから何十件もメールが来ました。ちょっと怖かったです。保育園の同僚に相談したら、ちゃんとしたアドバイザーがいる結婚相談所に入ることを勧められました」

ゆかりさんには相談や手助けを求められる友人が常に周囲にいる。それは、離婚でも再婚でも大きな支えとなった。ゆかりさんのきさくで素直な人柄の賜物なのだろう。

その頃、雅彦さんは結婚相談所をそろそろ退会しようかと考えていた。15万円ほどの入会金に加えて年会費もかかり、お見合いするたびに1万円の紹介料も取られる。中規模のIT関連会社で働く身としては痛い出費だ。それでも入会したのは、ゆかりさんと同じようなきっかけがある。

結婚相談所に入会、きっかけは「バイクの盗難」

「30代の頃は仕事と趣味に忙しかったので、無理に(相手を)探して結婚したいとは思っていませんでした。趣味はバイクです。1000ccの愛車にいろいろオプションパーツを付けて200万ぐらい費やしていました。でも、車検が終わった直後に盗まれてしまって……。何よりも大事にしていたバイクだったのでショックでしたね。で、ようやく結婚する気持ちになったんです。バイクが盗まれていなかったら今ごろまだ独身だったと思います」

宝塚やバイクに興味がない人にとっては理解のできない入会理由かもしれないが、若さゆえの勢いや「授かり婚」などはないわれらが晩婚さんには、フィーリング以上にタイミングが重要である。仕事や趣味などが落ち着いているときに出会った人こそが運命の人なのだ。ただし、会話すら続かなければ結婚に発展しようがない。

「高いお金を払って会っているのに話がかみ合わない女性ばかりを紹介されて、退会しようかと思っていたんです。そのときに会ったのがゆかりでした。本当は結婚歴のない方を希望していたのですが、彼女がバツイチであることを見落としてお見合いしてしまいました(笑)。結果オーライ、ですけどね」

筆者もバツイチなので、雅彦さんの「見落とし」には感謝をしたい。離婚経験者は性格や生活力に欠陥があると思われがちだが、ゆかりさんのように不可抗力で離婚せざるを得なかったケースも少なくないのだ。

あえて短所を指摘するならば異性を見る目がなかったことだが、それも離婚という手痛い経験によって大きく改善する。見た目や口先だけではなく、その人との共同生活をリアルに想像したうえで結婚できるか否かを判断できるようになるのだ。

一度失敗してしまったことで少しは謙虚にもなっている。筆者の場合も、妻と何かの拍子に言い争いになると、「たぶんオレが間違っているんだろうな」という気持ちになり、すぐに謝ることにしている。初婚のときは「絶対に相手が間違っている」と思っていたのとは正反対だ。これから結婚を考えている人には、晩婚さんだけでなく離婚さんも候補に入れてもらいたい。

ゆかりさんとは会話が弾むと喜んだ雅彦さんに対し、ゆかりさんは「私は話しやすいとは思いませんでした」と笑う。しかし、雅彦さんが川崎市内に長く住んでいて、長男ではないので田舎の実家に戻らなくても大丈夫であることに着目し、連絡先を交換することにした。

最初のデートは雅彦さんが選んだ川崎市内の串揚げ店だった。気取らない雰囲気の中で飲み交わし、お会計では1000円だけゆかりさんが出して残りは雅彦さんが払ってくれた。全額おごってもらうのも気が引けるし、割り勘も野暮だと感じているゆかりさんは、大人の気遣いができる雅彦さんに惹かれていった。

妻に求める「2つの条件」

雅彦さんには結婚相手に求める2つの条件があった。ひとつは共働きができること。自分の給料だけでは、2人の大人が余裕を持って明るく暮らしていけないと感じていたからだ。もうひとつの条件は、お互いの家族を大事にできること。雅彦さんには東北地方に父親と兄夫婦がおり、子育てをしながら父親の世話もしてくれている義理の姉には深く感謝をしているという。

「兄夫婦へのお礼の気持ちも込めて甥っ子と姪っ子をかわいがるようにしているので、ゆかりが子どもたちに懐かれているのを見ると嬉しいです。最近はオレひとりで帰省すると『ゆかりちゃんはどうして来ないの?』なんて抗議されますからね(笑)」

20年以上も関東地方でひとり暮らしをしてきた雅彦さんだが、ゆかりさんとの共同生活は意外なほど心地良いという。家事はすべてゆかりさん任せだが、部屋が少々散らかっていたり、食事がコンビニ弁当だったりしても文句は言わない。

「そんなことは必須ではないからです。家事をもっとしたいから専業主婦になる、なんて言われるのがいちばん困りますね。仕事が忙しくて料理ができないときは外食に誘っています。もちろん、オレが出しますよ。口も手も出さないけれど金は出す、という結婚生活です。家のローンや公共料金はこっちで、その他の生活費はゆかりが出してくれています。おかげで海外旅行も行けるし、甥っ子たちにもプレゼントを買える。大いに助かっていますよ」

ゆかりさんのほうも現在の生活に深く満足している。そのことは、雅彦さんの顔を見る穏やかな眼差しから伝わってくる。

「雅彦さんは保育園の仲間とも一緒に飲んでくれるし、大変なときは愚痴を聞いてくれます。夕食がコンビニ弁当なので謝っても、『そんなことはかまわないけれど体は大丈夫か。仕事で無理してないか』と心配してくれるんですよ。いつも保育園で(夫の)自慢をしています」

愛する地元から遠く離れた土地で「生きていてこんなに不幸なことが起こるのか」と哀しみと孤独に震えていたのが6年前。あの頃のゆかりさんは今の溌剌とした自分を見て何を思うのだろうか。生きてさえいればこんなに幸せな日々にまた巡り合えるのか、と驚くはずだ。苦しい離婚経験がなかったら優しい雅彦さんと出会うこともなかっただろう。冬来たりなば春遠からじ。


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