今回紹介するのは「大学院を卒業し一般枠で正社員として就労しているものの、適応障害を発症し勤怠が不安定で何度も休職しています。転職して障害者枠に落ち着くべきか悩んでいます」と編集部にメールをくれた、29歳の独身男性だ。
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「物理の面白さですか? 物ごとの理(ことわり)を知ること、でしょうか。もっと具体的に? そうですね――。例えば、コップに注いだ水の温度は時間がたつと、周囲と同じになりますよね。物理を学べば、その理屈を知ることができます。すべての自然現象の根底。それが物理だと言ってもいいでしょう」
東京大学大学院で物理を専攻していたフユキさん(29歳、仮名)に言わせると、数多くある三角関数の公式も「sin²θ+cos²θ=1」と「tanθ=sinθ/cosθ」さえ覚えていれば十分なのだという。
「そのほかの公式は、計算すれば導き出せるので、覚える必要はないんです」
一方で、フユキさんは買い物や飲食店などでの会計時に、金額を伝えられても、払うことができない。発達障害の1つ、自閉症スペクトラムで、耳から聞いた言葉をそのまま記憶する能力「聴覚的短期記憶」が低いからだ。金額を口頭で言われただけでは、聞いたそばから忘れてしまうのだという。
「それ以外にも、繰り上がりがあるような足し算もダメですね。『800+200は?』と聞かれても、すぐには答えられない。耳から入ってきた情報を、頭の中で処理したり、文字に書き起こそうとすると、ラグが生じるようなイメージです」
学生時代、ノートを取ったことがないという。というより、教師が話したことを、文字にして書き記すという作業ができない。自宅に戻ってから、教師が話した、大まかな内容を思い出しながら、教科書や参考書を読んで確認する――。これが、フユキさんの勉強方法だった。それでも、成績はいつもトップクラスだったという。
「幼い頃から、自分はヘンな人間だという自覚はありました」とフユキさん。集団で行動することが苦痛で、自室で独り、動植物の図鑑などを読んでいるほうが好きだった。心配した母親からよく「ほかの子と遊んできなさい!」と言われたことを、覚えているという。
「いじめに遭ったこともありました。クラスの中心にいるような、活発な子が苦手だったのは、そうした経験の影響だったようにも思います。いつも限られた友達2、3人と一緒にいる、おとなしいタイプの子どもでした」
将来の夢は研究者になることで、そのために大学院に進んだ。しかし、全国から優秀な学生が集まる最高学府において、早々に「自分の能力では、研究者として生き残るのは厳しい」と悟ったという。このため、卒業後の進路を就職へと変更。理工系出身者のニーズが高いとされる金融機関のリスク管理などを担当する部門などを目指すことにした。
ところが、いざふたを開けてみると、就職活動は難航した。ほとんどが書類選考で落ちてしまうのだ。中堅と言われる規模の会社や、金融以外の職種にもエントリー先を広げたが、結果は同じ。80社近く応募して、1社も内定を得られなかった。
原因は、適性検査の一部である性格検査にあったのではないかと、フユキさんは言う。現在、多くの企業は面接前の選考過程で、さまざまな適性検査を実施している。主に基礎学力などを測る能力検査と、その人の考え方や行動パターンなどをチェックする性格検査で構成され、このうち性格検査は、200問以上の設問に短時間で答えることが求められる。
「能力検査は、できたという手応えがありました。となると、性格検査の結果に問題があったとしか考えられないんです」。正直に答えたつもりだが、ストレス耐性や協調性に難ありとみなされたのではないかと、フユキさんは考えている。
不採用が続く中、次第にうつ状態に陥り、医療機関で向精神薬などの処方を受けながら、就職活動を続けた。秋頃には、数日間にわたって食事も水も処方薬も喉を通らなくなり、さらに処方薬を断ったことによる離脱症状に襲われる――、といった状態を繰り返すようになり、やむなくその年の就職を諦めたという。
医療機関に通う際、フユキさんは同時に「自分は発達障害なのではないか」という相談も持ちかけていた。当初、臨床心理士からは、発達障害に特徴的なコミュニケーションにおける問題は見られないと言われたが、念のために専門の検査を受けた。
その結果、「計算力」「長期記憶」などの項目が平均水準をはるかに上回ったのに対し、「聴覚的短期記憶」「結果を予測する力」などは平均以下であることが判明。得意なことと、不得意なことの差が大きいのは、発達障害の特徴の1つである。
「検査の中でも、4、5枚のイラストをストーリー順に並べ替えよ、という問題がまったくできませんでした。(結果を示す)折れ線グラフが、とにかく凹凸の激しい形状だったことを覚えています」
翌年、フユキさんは服薬治療とカウンセリングを受けながら、再び就職活動に挑戦。今度は、ほぼ希望どおりの会社への採用が決まった。しかし、一難去ってまた一難。卒業前、臨床心理士から「学歴が高いので、周囲からの期待も高い。それに伴うストレスもまた大きいでしょう」と言われていたのだが、その予想が、入社後、見事に的中したのだ。
会社組織において、新入社員に任されがちなのは、会議録の作成と電話応対。しかし、フユキさんは、この2つがまったくと言っていいほどできない。「聴覚的短期記憶」が低いので、会議中にメモを取ることはほぼ不可能。かといって、いったん録音したものをメモに書き起こすような時間的な余裕もない。電話の相手から、会社名や名前、用件などを伝えられても、受話器を置いたときにはほとんど忘れてしまっている。フユキさんは、電話の相手から会社名や名前、用件などを伝えられても覚えられないという
未完成の会議録を提出するたび、上司はあきれたような、戸惑ったような複雑な表情を見せたという。電話応対にいたっては、「まともに取り次げたことがない」。
「もとから眠りは浅いほうだったのですが、就職してからは、作業に追われたり、得体のしれない怪物に追われたり、『何かに追われる』という悪夢を、毎日見るようになりました」とフユキさん。
仕事の失敗が重なると、「自分は欠陥人間」「存在価値などない」と思い詰め、さらには食欲不振や頭痛など身体にも不調を来し、そのたびに休職。休職期間は2、3週間と比較的短いものの、すでにこうしたことを何度も繰り返しているという。
会社では、怒鳴らたり、パワハラを受けたりしたことはない。人事部などには発達障害のことは報告しており、フユキさんの勤怠が不安定になると、担当者のほうから休職してはどうかと促してくる。最近は、電話応対の少ない部署への異動もなされた。
会社は決して障害への理解がないわけではないように見えるが、フユキさんに言わせると、「理解してくれているというよりは、見逃してくれているという感じ。人事部の対応もごく事務的なもので、そろそろ(解雇や退職勧奨などについて)何か言われるのではないかと恐れています」といった受け止めになる。
不安がピークに達したある日、いっそ障害者枠で働いたほうがよいのではと考え、専門の転職サイトに登録してみた。しかし、担当者からはきっぱりと「収入は間違いなく下がります。今の会社から支援を受けられるなら、転職は勧めません」と言われたという。
現在、フユキさんの年収は約400万円。自分でも調べたが、障害者枠で転職した場合、収入は悪ければ半減、そもそも正規雇用の求人がほとんどないことがわかった。非正規雇用では、つねに雇い止めの不安におびえなくてはならない。
「社内には居場所がないと感じます。かといって、転職しても、(雇い止めの恐れがある)非正規雇用では、かえってメンタルは悪化するでしょう」。会社にとどまるのも苦痛、転職しても待っているのは貧困――。そう考えると、絶望感しかないという。
フユキさんの話しぶりは終始、穏やかだった。物理や三角関数の説明をするときも、典型的な文系人間の私が、ちゃんと話についてきているかを確認しながら、ゆっくりと話を進めてくれた。臨床心理士の見立てと同じく、私もフユキさんからは、発達障害のある人特有のコミュニケーションの取りづらさは、まったく感じなかった。
最後に、会社の同僚や上司たちに望むことはありますか、と尋ねると、フユキさんは「広い心を持ってほしい。みんなが同じことを、同じだけできるわけじゃないことを理解してほしいです。私の場合は、(人並み以上に)得意な分野もあります」という。
これに対し、私が「会議録の作成や電話対応が不得手だと、打ち明けたのですか」と聞くと、話していないという。理由は、「たぶん、理解してもらえない。『え? そんなこともできないの』と言われてしまうと思うから」。
広い心を持ってほしいと言いながら、自分ができないことを伝えないのは、少し矛盾しているのではないか――。そう言いかけ、私は取材中の自分のある振る舞いを思い出した。
レジで金額が記憶できない、会議録の作成や電話応対ができないというフユキさんに対し、私は繰り返し「一瞬でも記憶できないのですか」「意味がわからなくても、とりあえずメモするということも難しいですか」「(電話相手の)名前だけでも覚えていられないのですか」と尋ねたのだ。
このとき、フユキさんは、大学ノートにメモを取る私の手元を見つめながら、「みんなが普通にできることを、自分はできないんだなって思います」と言ってため息をついていた。
自分が当たり前にできることを、他人ができないということを理解することは意外に難しい。そして、自分はできないことを、多くの人が当たり前にできていることを目の当たりすることのしんどさを思った。
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