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「毒親」の母が認知症になったら介護できますか シングルマザーの道を選んだ39歳女性の幸福

母親を介護しながら出産したシングルマザー、松永さんのダブルケアを乗り越えるヒントとは?

母親を介護しながら出産したシングルマザー、松永さんのダブルケアを乗り越えるヒントとは?(筆者撮影)

子育てと介護が同時期に発生する状態を「ダブルケア」という。ダブルケアについて調べていると、子育てと介護の負担が、親族の中の1人に集中しているケースが散見される。なぜそのような偏りが起きるのだろう。連載第7回は、過干渉で毒親気味だった母親が認知症になり、通い介護を始めたが、妊娠が発覚し、未婚で出産、子育てを決意したシングルマザーの事例から、ダブルケアを乗り越えるヒントを探ってみたい。

「お母さんが認知症なのですぐに来てください!」

2016年5月、茨城県在住の松永泰子(仮名、39歳)さんの携帯電話に、突然知らない番号から着信があった。

「お母さんが認知症なのですぐに来てください!」

電話の相手は医師。母親は「めまいがする」といって病院を受診したらしいが、その日が初めてではなく、3日連続で来ていた。

おかしいと思った医師がMRIを撮ったところ、前頭側頭型認知症が発覚。父親には電話がつながらず、長女である松永さんにかけてきたという。当時母親は62歳。

「母はもともと普通じゃないところがあったので、認知症に気づくのが遅れました。私が小学生の頃は普通だったのですが、だんだん更年期障害なのか、『成績が悪い』とか『部屋が汚い』とか難癖をつけては、私を殴ったり罵倒したりするようになりました。多分、過干渉がいきすぎた“毒親”だったと思います」

父親は家にいないことが多く、子育ては母親に任せっきり。

松永さんには2つ違いの妹がいたが、気が強く、弁が立つので要領よく逃げることができた。しかし松永さんはうまくかわせず、長女ということもあり、母親の期待を一身に背負い続けた。

「高校生の頃は、化粧の練習をしていただけで殴られました。自分の部屋をきれいにしておくと、『これはどこで買ったの?』とか、ゴミ箱に捨ててあったレシートを見て『何でこんなところまで行ったの?』などと物色して質問攻めにされるので、わざと汚くしておきました」

20歳を超えても、母親は突然スカートをめくって下着のチェックをしたり、就職活動にも口を出す。

「大学に入っても就職しても、母は私を一人前と認めてはくれず、『あんたが一人暮らしなんてできるわけがない』と言われ続けて、私もそう思い込んでいました」

やっと家を出られたのは、27歳のとき。

両親が家を購入することになり、職場から遠くなるし残業で遅くなるから……という理由で、都内で一人暮らしを開始。

しかし、それからまもなく母親は部屋が片付けられなくなり、物忘れが増え、購入したばかりの家はみるみるゴミ屋敷状態になっていった。

通い介護中に「妊娠」が発覚

2016年7月。松永さんは平日は都内で仕事、土日は実家で介護を始める。母親は毎日決まった行動をとる「常同行動」という症状が出ていた。買い物が好きだったため、車を運転して決まったスーパーに出かけては、必ず同じものを買ってきてしまう。

「毎日1万円ほど使って、牛肉ステーキ、ブロッコリー、キャベツ、豚肉薄切り、骨付き鶏肉などを買ってくるものですから、冷蔵庫はいっぱい。入り切らないものはキッチンに山積みになって、腐っていました」

松永さんは、まず母親に介護認定を受けさせ、デイサービスの利用を開始。車の鍵を取り上げ、実家の片付けに取りかかる。

流しの中は、洗っていない食器や焦げついた鍋であふれていた。冷蔵庫の中は野菜が液状化。肉類は腐って異臭を放ち、調味料入れを開けるとコバエだらけ。冷蔵庫も調味料入れも、中身を全部処分し、丸洗いした。ところが、3つ捨てても2つ母親に戻される。

言い聞かせても拒否され、納得してくれるときもあったが、数時間後には納得したことを忘れている。

松永さんは、母親がデイサービスなどで外出している間や就寝中に片付け、ゴミ収集車が来る直前までゴミを隠しておき、ギリギリに出すなどの工夫をした。

そして2018年2月、松永さんに妊娠が発覚。

パートナーに妊娠を伝えると、中絶するよう言われる。松永さんはパートナーと別れ、1人で産み、育てる覚悟をする。

家族に妊娠を伝えると、父親は「せっかく授かったのに堕ろしたら後悔する。お金のことなら心配いらない。無事産むことに専念してほしい」と賛成。妹は「赤ちゃん好きだし楽しみ! 一緒に育てよう!」と喜んだ。ただ母親だけは「お父さんがいない子なんてかわいそう」と難色を示した。

「正直『毒親の母なんて捨ててしまいたい!』と思っていた私は、モヤモヤしながら介護を始めました。でも『ありがとう。助かるわ』という感謝の言葉をかけてもらうたび、『昔の母は病気だったのかもしれない』と思うようになりました。

執拗に干渉されて病みそうになったこともありましたが、介護によって向き合うことで、昇華できたのかもしれません。うまく帳尻が合ったような気がします」

約2年かけて「散らかっている家レベル」まで片付けた実家を、さらに「赤ちゃんを育てられるレベル」までにした。

「離乳食づくりは清潔なキッチンでしたくて、キッチンは力を入れました。ガスコンロも10年近く掃除されていなかったので、思い切ってIHに変えました」

シングルマザー&ダブルケア覚悟での出産

2018年5月、派遣の仕事をしていた松永さんは、仕事を休止し、実家に戻る。

「ダブルケア前提の出産だったので、使えるものは何でも使わなきゃと思い、ヘルパーさんや保育園は、絶対に利用しようと思っていました」

ところが、「認知症になったことを近所の人に知られたくない」「他人を家に入れたくない」と、父親と妹はヘルパーに反対。

「当初はデイサービスも反対されました。2人は仕事で家にいないことが多いので、状況の重大さが把握できていなかったんです」

松永さんは妊娠中の身体で、ヘルパーの手続きや保育園探しなどをこなした。母親の介護も実家の片付けもしない妹には、「お金も手も出さないなら、口も出さないで!」と釘を刺し、父親には母親の通院には必ず付き添うように頼んだ。

「私1人に押しつけて見ないフリをされるのを防ぐためにも、当事者意識を持ってほしくて頼みました。父には、母の薬を1回分ずつ分ける作業も担当してもらいました」

ヘルパーを決め、保育園に目星をつけ、ケアマネジャーとは報告や相談を密にし、出産予定日が近づいてきた。

経過は順調だが、自然分娩を推奨する産院だったため、実際に生まれる日時まではわからない。

父親は定年後、再就職していてほぼいないし、近くに住む妹も働いている。ただ幸いなことに、まだこの頃の母親は食事や排泄、入浴や睡眠は自分でできていた。

そして陣痛が来たとき、松永さんは産院へ向かいながら、デイサービスに電話をする。

「陣痛が来たので病院に向かいます。あとのことはよろしくお願いします」

2018年9月、無事長男を出産。

退院後、実家に戻った松永さんは、息子と自分のケアで精いっぱいだった。1週間が経ち、母親のことが気になったので様子を見に行くと、暗い部屋で明かりもつけず、1人で座っていた。

「ご飯食べた?」と声をかけると、「忘れた」と応える母親。「こりゃだめだ」と思った松永さんは、その日から食事の支度を再開した。

父親ががん、母親は呼吸不全に

2019年4月。息子が保育園に入園。この頃の母親は、手のこわばりや発汗、脈が速いなどの症状が出ていた。

そして5月、当時66歳の父親に前立腺がんが発覚。ステージ2で転移は見られず、8月に入院、手術して、無事退院した。

「もう絶対に倒れられない。風邪もひけない。事故も起こせない……。両親や息子の命が全部私にかかっていると思うと、プレッシャーがすごかったです」

ホッとしたのも束の間、母親のデイサービスから「脈が速く、酸素濃度が低い」と電話がある。松永さんは、「すぐに病院へ連れていきます」と言い、父親と迎えに行く。

救急病院に着き、手続きをしている最中に、母親は呼吸不全で意識がなくなる。すぐに気管挿管され、人工呼吸器につながれた。

「前頭側頭型とアルツハイマー型認知症は、呼吸不全と関係が深いらしく、萎縮する脳の部位によってさまざまな症状が出るそうです」

その約1カ月後、気管切開に切り替えられ、やがて誤嚥性肺炎を繰り返すように。経鼻経管栄養では栄養的に不足するため、胃ろうを勧められた。

「救急病院から今の病院に転院するときの条件が“胃ろう”だったので、選択の余地はありません。私は看取りに向かう段階で、胃ろうにして無理やり栄養を入れるとむくむし、食べる楽しみを奪うことになる――と思っていましたが、主治医の話を聞いて変わりました。胃ろうにすると苦しまずにしっかり栄養が摂れるし、胃ろうにしても二度と口から食べられないわけではなく、回復したら外すこともできるそうです」

結果、寝たきりにはなったが、以前より顔色がよくなった。

母親が入院する直前の松永さんの介護時間は、月431時間。夏場だったため熱中症が心配で、約1時間ごとに「水飲んだ?」「生きてる?」と声がけしていた。

「目が離せないのでどこにも出かけられず、息子の検診に行っても急いで帰宅。何かあったらあったで仕方ないと割り切っていたつもりでしたが、正直しんどかったです」

入院する直前、母親はトイレの失敗が増え、汚れた下着や失禁パッドをカバンなどに隠すこともあったが、食事や入浴だけでなく、松永さんのサポートのおかげで友だちとの交流も、ギリギリまでできていた。

ダブルケアにおける3つの信条

2020年2月、松永さんは単発で仕事に復帰。

「生後約半年で息子を保育園に入れたので、『かわいそう』と言われることもありました。でも後悔はありません。介護はいつまで続くかわからないので、早め早めに手を打っておくに越したことはないと思っています」

デイサービスやヘルパーに反対していた父親と妹も、「早めに頼んでよかった。なかったら無理だったね」と話している。

「母には1人で産むことを反対されましたが、やっぱり孫ができてうれしかったんでしょうね。1年くらいしか一緒に暮らせなかったのに、息子のことは忘れない。息子を産んで本当によかったです」

松永さんが息子を病院へ連れていくと、母親は必ず笑顔になる。

「息子がいないほうが身軽ですが、制限ができたことで道が定まり、自分がやるべきことが明確になったような気がします」

松永さんは今、正社員だった頃に従業員の労働時間管理に関わった経験から、ある国家資格の取得を目指している。

「ダブルケアを経験して、資格取得への意欲が高まりました。今後はダブルケアもシングルマザーも増えると思うので、誰かの役に立てたらいいなあと思います」

現在39歳の松永さんの信条は、「そのとき自分にできることを、楽しみながら全力でやる」だ。

「ダブルケアは1人では無理です。『抱えすぎないこと』『家族を巻き込むこと』『楽すること』が大切。まだやれると思っても、余力を残すことです。保育園もデイサービスも、使えるものは何でも使えばいい。

節約もしすぎると心が荒(すさ)むので、時には欲しい物を買う。ダブルケアをしている人って、自分を後回しにしがち。でも自分が倒れたら終わりです。だから自分をいちばん大事にして、あとは優先順位をつけるべきだと思います」

母親には、「お母さんは息子の次に大事だよ」と口に出して伝えてきた。「命に関わらないことなら後回しでもいい」と、つねに優先順位を意識した。

介護が始まったとき、「自分が幸せになることを諦めた」という松永さん。

「今振り返ると、介護の始まりが人生の終わりではないし、調べればいろいろなやり方がある。なるようにしかならないんだから、先々のことを考えすぎて暗くなっても意味がない。今あるもので、何が最大限できるかを考えることが大事だと思います」

ダブルケア当事者には、責任感や義務感の強いまじめな人が多い。そんな人こそ、幸せになることを諦めないでほしい。


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