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21歳、後天的「発達障害グレーゾーン」の苦悩 強いストレスが症状を引き起こした?

大学生になってからADHDらしき症状に悩まされることになったという(筆者撮影)

今回は、関東在住で「発達障害のグレーゾーン」と語る堀内香織さん(仮名・21歳・大学生)。一般的に発達障害は生まれ持った脳の特性とされているが、堀内さんの場合、大学生になってからADHDらしき症状に悩まされることになったという。一体どういうことなのだろうか。住まいは関東だが少し離れた地域に住んでいるということで、LINE電話で取材を行った。

勉強のストレスや過敏性腸症候群から適応障害に

中学までは特に生きづらさを感じることなく過ごしていた堀内さん。しかし、高校の頃にストレスが原因で適応障害に陥ってしまう。この連載の一覧はこちら

「当時、親から『学歴がすべて』だという洗脳を受けていて、勉強しかしていませんでした。勉強ばかりで人間関係を大切にすることをしなかったので、1人も友達がいませんでした。また、親しくしていた男性に彼女ができてしまうといった、ショックなことも重なっていた頃、授業中にオナラをしてしまったんです。

そしたら、『また授業中にオナラをしてしまったらどうしよう?』という不安から過敏性腸症候群になり、そのストレスから適応障害を患ってしまいました。私の場合の症状は、『死にたい』という気持ちがずっと続く。適応障害はストレスの原因がはっきりしているうえで起こる障害です。その原因が取り除かれると症状が緩和されて改善に向かう点が、うつ病との違いだと思います」(堀内さん)

適応障害に悩まされる堀内さんを見かねた両親は、ニュージーランドへの留学を勧めた。そして、高校2年生の10月にニュージーランドへ飛び立った。適応障害で体調がいいと言えない中、海外へ行くことに不安はなかったのだろうか。

「英語ができるわけでもないし、外国人とかかわった経験もなかったので、不安だらけでした。ニュージーランドに行ってからも、靴を履いたまま家に入ることやバスの乗り方の違いなど、そういう小さな文化の違いがストレスでした」(堀内さん)

当初は日本との違いに戸惑ったものの、徐々に堀内さんの適応障害は回復へ向かっていった。留学先では月曜から金曜までは学校、土日は休日という日本と変わらないスタイルだったが、下校時刻が15時頃で、17時過ぎまで授業があった日本とは違い、放課後自由に遊べたりのんびりできたりした。そして、だんだんと気持ちがポジティブになっていくのを感じた。

日本にいた頃は精神安定剤を服用し、カウンセリングも受けていたがまったく症状が良くならなかった。「海外で生活して習慣が変わったら、最終的に心の持ちようも変わったのかも」と、堀内さん。また、彼女にとってニュージーランドは生きやすかった。

「海外だと自分が『外国人』になります。そうすると現地の人は、自分とは違う異質の存在だという前提からコミュニケーションが始まるので、何か違和感が出てきても『この人は外国人だから違うのか』と、いい意味であきらめてくれる場合が多かったです。その点では楽でした」(堀内さん)

大学の講義を集中して聴けず、不注意が増える

1年半の留学を終え帰国後大学受験に挑み、翌年4月、大学に入学した。帰国当初は、空気を読まなければいけないという日本独特のプレッシャーが大きく、どの程度まで自分らしくいて、どの程度まで日本のコミュニケーションスタイルに合わせていけばいいのかという葛藤が生まれた。そして大学生になってから、ADHDらしき症状が出るようになったのだ。

「大学生になってから集中して講義を聞けなくなってしまいました。特に、講義が始まってからすぐは集中できず、読書したり寝たりしていました。子どもの頃にはそのようなことは特になかったと記憶しています」(堀内さん)

高校までの授業時間は50分だが、大学の講義は通常90分。筆者が「時間が長いせいで集中力に欠けてしまったのではないか?」と思い尋ねてみると、時間は関係なく、その講義に興味を持てるか・持てないかの問題だという。

また、それまでにはなかった衝動的な行動や不注意を起こすようになった。対人ではないものの、縁石に乗り上げてしまい車の事故を起こす。家の鍵をなくして3カ月間部屋の窓から出入りをしたりしたこともあった。母親からは「どうして大学生になってからこんなにちゃんとできなくなっちゃったの」と小言を言われた。

検査の結果、能力のアンバランスが判明

そんな堀内さんを心配し「ADHDじゃないの?」と指摘したのが、大学でいちばん親しい友人だった。それまではADHDという言葉も知らなかったが、ネットや本で調べてみると今の自分に当てはまることが多かった。そこで大学の保険センター内の精神科で発達障害かどうか検討をつけるテストのWAIS-Ⅲを受けたところ、臨床心理士から「能力にアンバランスがある」と言われた。

「たとえば、聴覚から入る情報の短期記憶がほとんどできませんでした。日常生活では、明日何時に何の予定があると言われたら、メモをしないと忘れてしまいます。バイトの出勤日を忘れたこともあります。いちばん顕著に自分ができないと感じたのが、初対面の人が大人数で集まり、円になって行う『名前覚えゲーム』。『私の名前は香織です』と言ったら、隣の人が『香織の隣にいる私は●●です』と言い、3番目の人は『香織の隣にいる人は●●で、その隣にいる私は▲▲です』という風につなげて回していくゲームです。自分はまったくできなくて浮いてしまい、とても嫌な思いをしました。

逆に、一番秀でていたものは抽象的概念を論理的に考えるテストです。たとえば、『“地震”と“津波”という単語を聞いた際、これに共通しているものは何ですか?』と聞かれた際、パッと『自然災害』という答えを出せるとか」(堀内さん)

WAIS-Ⅲは発達障害かどうか診断を下すためのテストではなく、傾向を見るテスト。だから、このテストを行った臨床心理士ははっきりと「発達障害」という診断をくださなかったのではないか、と堀内さんは語る。

しかし、冒頭でも述べたが発達障害は先天的な特性というのが一般的だ。後天的に発達障害の症状が出るケースがあることは今まで当事者を取材してきた中では聞いたことがない。

己診断での「発達障害グレーゾーン」だ。専門の病院を受診することも可能だが、費用も時間もかかるため、診断を受けるかは検討中だという。しかし、診断をくだされなかったとしても、能力にアンバランスがあることは確かで、それによって社会生活が困難になることに変わりない。そのため今は、さまざまな情報をもとに、自分の認知の歪みや症状をどのようにカバーするかを自力で模索中だ。その方法の1つとして試しているのがヨガ。

ヨガ中の人
症状をどのようにカバーするかを自力で模索中だ(筆者撮影)

「ヨガを始めて1年ほど経ちます。今は毎日ヨガ教室に通って、1時間ヨガをしています。ADHDの人は脳にいく血流が少ないので、それが脳の働きを低下させる原因だと読んだ本に書かれていたからです。

ヨガは『動く瞑想』と言われていて、難しいポーズを取ろうと集中しているときに瞑想状態に入ります。1時間くらい瞑想状態を継続すると、終わった後は頭がすごくスッキリするんです」(堀内さん)

「また以前、ADHDの薬であるストラテラのジェネリック『アクセプタ』を個人輸入して取り寄せ、飲んでいました。普段は頭の中にずっと雨雲のようなものがあって大雨が降り続いているような状態なのですが、それを飲むと雲がなくなったような状態になります。

それがおそらく、定型発達の人の脳の状態だと思うんです。ヨガで1時間瞑想状態に入った後は、アクセプタを飲んだときのようなぱっと晴れた状態になることを実感しています。今はもう、アクセプタは飲んでいません」(堀内さん)

グレーゾーンが理解されにくい理由

発達障害と診断されている人の生きづらさはこれまで紹介してきた。しかし、堀内さんはグレーゾーンならではの生きづらさがあると語る。実際、この連載も「生きづらさ」でネット検索をかけて見つけたという。

「以前はADHDらしき症状自体で生きづらいなと感じていました。でも、自分を客観視するようになると、自分の弱点が見えてきました。それをヨガなどでカバーしようとするようになってから、生きづらさは減ってきました。

でも、やはりグレーゾーンの人は発達障害の人からも定型発達の人からも、どちらの方向からも理解されにくいのではないかと感じます。発達障害の方は医師の診断も受けているし、ある能力が極端に発揮できないから、理解を得られる部分があります。そして、定型発達の人はバランスよくいろんなことができる。

だけど、グレーゾーンの人は医師の診断もないし、できないことが多いわけではないけど、できないこともある。程度の問題だとは思いますが、『それくらいのことは定型発達の人にも当てはまるよ』と言われると言い返せません。だから、自分の脳の特性のせいにしにくいなと思います」(堀内さん)

筆者は堀内さんのほかにも「病院を受診していないが、おそらくグレーゾーンの発達障害だと思う」と言う人を何名か知っている。ぱっと見ただけでわかる身体障害と違い、発達障害の生きづらさは一見見えづらい。しかし、発達障害グレーゾーンの生きづらさはもっと見えづらいものなのではないか。堀内さんの話を聞いてそう思ったが、海外の論文を読んで調べたり、認知の歪みを矯正しようと努めたり、ヨガに挑戦したりと、自ら生きづらさを解消するための手立てを探している点に、彼女のこれからの可能性を感じた。

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