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27歳「発達障害」の彼女が水商売に懸ける理由 毒親から逃げるように、ネグレクトの過去も27歳

LGBTの発達障害

彼女は「親にも発達障害らしき特性があった」と話す(筆者撮影)

今回はASDとADHDを併発している大塚直美さん(27歳・仮名)。出身は関東の某県で今は都内在住だ。現在、うつ病により医師の勧めで生活保護を受給中。自身はバイセクシュアル。現在は男性パートナーと、同じく発達障害持ちでレズビアンの友人の3人で、自助グループのような感じで共同生活を送っている。発達障害に生活保護、LGBT、共同生活。いろいろと込み入ったワケがありそうだ。話を聞いてきた。

初回の診察ですぐに発達障害と診断

大塚さんに発達障害の診断が下ったのはつい昨年のこと。ずっと自分は発達障害なのではないかと思っていたが、余裕がなくて病院に行けなかったという。余裕がなかったとはどういうことなのだろうか。

「それまで、うつ病で精神科を受診していたのですが、その病院が発達障害は専門ではなかったんです。また、生活が落ち着いたから発達障害を診ている病院を受診できたというのも大きいです。今の男性パートナーは昨年の3月から付き合っているのですが、それまでは女性のパートナーでした。でも、その元パートナーのDVが大変で共依存状態になってしまい、別れるのにとても苦労してしまって……。

マルチタスクも苦手なので、生活保護の手続きなども一昨年から昨年にかけてようやく終わりました。そして、昨年から今年にかけて自分の周りの人間関係を整えていって、やっと環境が落ち着いたので、ようやく受診できるところまできました」(大塚さん)

受診した際、初回の診察ですぐ「一応検査はするけど、もう発達障害は確定だね」と医師に言われたほど顕著な特性が表れていた大塚さん。うつの症状が強いため、医師からは就労継続支援すら受けてはいけないと言われた。しかし、毎月の生活保護と2カ月に1度振り込まれる障害年金を合わせても月15万円ほどで過ごさねばならず、そこから6万5000円の家賃が引かれるのでカツカツの生活だ。

生活保護受給者は家賃の上限があったり、定期的にケースワーカーが訪れ、高価なものを買っていないかチェックがあったりすると、以前、生活保護受給経験者を取材した際に聞いた。大塚さんの家賃額は生活保護受給者にしては高いのではないかと思ったのと、そもそも3人で共同生活をしていることにケースワーカーは何も追求しないのだろうか。

「家賃が少し高めなのは、子どもの頃にネグレクトを受けて監禁状態だったトラウマから、狭くて窓のない部屋が精神的に耐えられないからです。この部屋じゃないと住めないとケースワーカーさんに言ったら少しケンカのようになってしまったのですが、何とか許可が下りました。でも、木造で築年数は古いし、お風呂はバランス釜です。

共同生活について、実はレズビアンの友達も発達障害で生活保護を受給中なのですが、住所は別の場所にあります。友達もパートナーも、同居というより介護をしてもらいにきている状態で、いつも私の家にいるというわけではないので、法的には大丈夫です。本当は、いっそのこと生活保護を受けている友達同士で一緒に暮らしたいのですが、『同性同士が同居するというのはシステム上考えられていないのでできない』と言われてしまいました」(大塚さん)

親にも発達障害らしき特性があった

今、1人で生活することが困難なため、共同生活を送っている大塚さん。大塚さんが言う「介護」というのは、家事など日常生活におけるすべてのことを指す。3人のうちできる人がやっているという。

大塚さんは幼い頃からADHDの衝動性とASDのこだわりといった特性があった。

「小さい頃はとにかく目に映るものすべてに興味がありました。誰かの誕生日でケーキにロウソクの火が灯っていて、もう8歳だったので火が危ないことはわかっているはずなのに、火をティッシュに移してしまって慌てて周りの大人が消したことがありました。今思うとこれは、衝動性ですよね。

また、幼稚園の頃は1日のルーチンワークが決まっていて、ブロック遊びをした後にパズル、その後に折り紙をするという3つの行程を必ず行っていました。毎日同じことをこなすのが心地よかったんです」(大塚さん)

そして、大塚さんの母親がADHD、父親にASDっぽい特性があったのではないかとも語った。とにかく母親は物忘れが激しく、絶対に忘れてはいけないことを忘れる。教育熱心な親だったので小3から塾に通い中学受験をする予定で頑張っていたのに、なんと母親が入試の出願書類を出し忘れてしまったのだ。このとき、父親が母親にものすごい剣幕で怒ったのを覚えているという。せっかくの努力が水の泡になったのかと思いきや、父親は母親の特性をわかっており、出願書類の締め切りより前倒しの日程を伝えていたため、無事受験でき、さらに合格した。

一方、父親の特性としては大塚さんに似ていた。大塚さんは日常のささいな疑問の答えをいつも知りたかった。この特性は、本連載の第2回目「28歳、顔出しで発達障害語るブロガーの真実」で紹介したサトエリさんが、幼い頃いろんな疑問を抱いて親に質問しては答えてもらえずモヤモヤしていたのと似ているかもしれない。

ところが、大塚さんの父親は彼女がたとえば「なぜ空は青いの?」と、普通の人ならすぐに答えられないような質問をしても、きちんと説明して答えてくれた。だから、大人は疑問に感じたことを教えてくれるものだと思っていた。そんな最大の理解者であった父親を中1のときがんで亡くしてしまう。

「そこから先は母子家庭となり荒れ放題。母親はADHDぎみなので片付けができなくて家の中はぐちゃぐちゃ。それにアルコール依存症も加わってしまいました。そして私は中1のとき、うつを発症してしまいました。また、母親はスナックを経営していたので、法的に違反しているのに、16歳の頃から私も店に立たされ、お酒も飲みたくないのに18歳のときから飲まされました」(大塚さん)

看護師になるもののマルチタスクが苦手

高校卒業後は母の指示により、自分が興味のある学部ではなく看護師になるための大学に行かされてしまった。そして、大学でいじめを受ける。大学の子たちはみんなで一緒に勉強をするのを好む学生ばかりだった。しかし、大塚さんは1人で勉強をしたくて断っていると「付き合いの悪いヤツ」と言われてしまった。

また、学生生活最後の1年は特に勉強に集中したく、遊びにも行かなかった。国家試験対策のため、都内の予備校にも通っていたので、遊ぶおカネがあれば予備校の受講料に回したかった。夏に「みんなで野外フェスに行こう」と誘われた際も、「ごめん、予備校の受講料を払ったばかりでおカネがなくて行けない」と断ったら、白い目で見られた。大学卒業後は地元で看護師になったが、向いていなくて1カ月で辞めた。

「看護師はマルチタスクだし、女の社会だしで、実習のときから合わないとは感じていました。もともと小学生の頃から女子グループが苦手でしたし。同じ実習に入った子から『患者さんのこの病気について調べてきたよ』と言われたので、『えっ、なんで調べてきたの?』と聞いたら、『だって担当の看護師さんが調べてって言ってたじゃん』と言われたのですが、『調べて』とは言われていないんです。おそらく『あの患者さんはこういう病気だから、まあ調べておいたほうがいいかもね〜』みたいな言い方だったと思います。でもそのとき、私は話の主語から外れていたし、そこに着目できなかった。そういうことがたくさん積み重なっていきました」(大塚さん)

看護師を辞めた後は、看護師の資格が必要とされる健康相談のコールセンターや介護施設を転々とした。そして、24歳の頃「とにかく過干渉な毒親から離れたい一心で、現金3万円を握りしめてキャリーケース1つで上京した」と語る。母親のスナックの手伝いにより、水商売のノウハウは身に付けていたので、上京後はとりあえずキャバクラで働いた。しかし、キャバクラこそ女の世界で、お客さんとのコミュニケーションを必要とする職だ。きちんと務まったのだろうか。

「やっぱりしんどいときはあります。たとえば、若めのお客さんだとノリで『イェーイ!』って感じなのでついていけなくて。私、中身のある会話しかできないんです。『●●に行ってきたんだけど、あそこって何があるよね、そういえばそれに関する歴史的な何かが……』というふうに。だから、そういう話が好きでないお客さんとはどう話したらいいのかわからない。また、女の世界ではありますが、それはほかの(キャバクラ)嬢と一緒に卓についているときのみ、仲が良さそうに話せばいいだけ。待機に戻ると一気に他人に戻って会話はないので、その点は楽です」(大塚さん)

生活保護を切るために、医師には禁じられているが働く

実は今も、医者から働くのを禁じられてはいるが経済的に苦しいので、体調の良い日だけキャバクラで働いている。出勤日数は体調によりけりで、うつの状態が悪いときは週ゼロ、ある程度いいときは週4出ることもある。中身のある会話を好む大塚さんにとって接客が得意な年齢層は40代後半以上のおじさま世代だ。お店の人には「年配の人への接客のほうが得意です」と伝え、なるべく年配のお客さんの卓につかせてもらっている。時には70代のお客さんを接客することもある。

当然だが、収入があると生活保護の受給額が少なくなったり打ち切られたりする。しかし、大塚さんは早く生活保護を打ち切りたくて働いている。今のいちばんの目標は生活保護を切ることだ。そして、今まで進路をすべて母親に決められてきたので、美大に行きたいとも語る。

「絵を描くのが好きなのですが習ったことはないので、ちゃんと勉強してみたいんです。自分の特性を存分に爆発させてもいい場所が欲しいです。でも、やりたいことが毎日、最低3つは思い浮かぶんです。たとえば今日は押し花をやりたい気分。こうやっていろんなものに興味が湧くADHDの特性に、今の自分のうつ病の身体が追いついていないのがいちばん嫌だなと感じているところです」(大塚さん)

今までも作品を描いたことがあるというので見せてもらおうと思ったら、残念ながら現在使っているスマホにデータが保存されていなかった。取材後、「パソコンにデータがあったので」と作品が送られてきた。矢沢あいの漫画を彷彿させるようなかわいらしいイラストとレインボーカラーのリボン。大塚さん自身LGBT当事者であるため、以前LGBTの啓発活動にかかわったときの作品だという。地元だと、LGBTに偏見がある人も多く、生きづらさを感じたこともあったというが、都内では地元よりも理解があるのがうれしいと大塚さん。

取材後に送られてきた作品(写真:大塚さん)

大塚さんは本来なら働ける体ではないのに働いている。まずは体調を最優先に、今まで抑圧されてきた分を取り戻すよう、自分らしく生きてほしい。


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