毎回更新を楽しみにしています。私は44歳で既婚者ですが、子どもはいません。統合失調症をまだ患っているので、将来仕事はできても、人間関係は難しい状況です。発達障害もギリギリの線で持っているみたいで、常識というのがわかりません(常識は人の数だけあるとも思っていますが)。統合失調症の後遺症で、物理的な問題も結構苦手です。読書で見聞を広めますが、「机上の空論」と言われることもあります。そんな私でも、知っている経験で以前ネット上で若い人の悩みに答え、感謝されたときはうれしかったです。私もミセス・パンプキンのようになって、人の相談にのる仕事をしたいと願っています。私は今後、どのように生きていくべきでしょうか。目の前のことを謙虚にこなしていくしかないでしょうか? 何か指針を与えてください。なずな(仮名)
こなして」いきながら、あなたの思いをどんどん発信し、人に喜ばれる経験を重ねていかれるよう、お勧めします。
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人生に喜びはいろいろありますが、自分の行為で人に喜ばれたときの幸福感は最高の1つです。集団生活で何百万年も過ごしてきた遺伝子の影響か、周囲に役立つことを幸福と感じるような本能を有しており、これは大抵の人に当てはまります。
なずな様もネットで、若い人の悩みに答えて感謝されたときの喜びを大切にしておられるのですね。ぜひその経験を積み重ねていかれるよう、お勧めします。
病の重度にもよりますが、私の知る統合失調症の人たちは、頭脳明晰で純粋な人も多く、あなたに重なります。その分、真実を見抜く目に曇りがなく、その意見にハッとさせられることしばしばです。世にスレていない純粋な心故かと思っています。
人に感謝されることでなずな様の喜びが増し、ますますなずな様もさまざまな問題について深く考えるようになり、自分自身も成長できるという好循環が期待できます。
当相談室での私がまさにそうですので、確信をもって申し上げています。
感謝された人が1人でも、または一期一会でも、それは人生の大きな贈り物と思えるほどです。
大きな病を持つ人は、自分のことで精いっぱいのはずなのに、あなたは人とつながり、自分の考えを発信し、感謝された喜びを大切にしておられるところがすばらしいと思いました。
多くのメディアで紹介されているダウン症の天才書家、金澤翔子さんと重なります。
彼女のお母様が「他人への迷惑」だけを考えて翔子さんを育てておられたなら、あの天真爛漫な人柄や天才と言われる「書」は世に出ることなく、多くの人に感動を与えることはありませんでした。
できないことを数えて引っ込み思案になるより、つらい闘病体験を持つなずな様ならではの感性を生かし、誰かを勇気づけられる言葉が発信できたら、すばらしいですね。
読書で得られた知識を披露して、「机上の空論」と言われたことがあるそうですね。でも、ひるむことはありません。あなたはそう思ったけど、相手はそう思わなかった、ただそれだけのことです。
書物で知るさまざまな知識や人の哀しみ、そこで得られた感動がなければ、自分の人生は、どんなに味気ない人生だっただろうと、私はときどき想像します。
ですから書物から得た知識や感動を語れない関係など、想像できません。
なずな様も「机上の空論」と言われるのを恐れず、どんどん読書で見聞を広め、意見や感想を述べるのに臆病にならないほうがよいです。本について語り合える人がいるのは、人生の大きな財産ですよ。
それから、あなたはできないことも多いと数えておられますが、その病でない人でも多くの人ができないことはたくさんあって、完璧な人などいません。
パンプキンのようになりたいとおっしゃってくださったので、告白することにしました。
実は私の数ある欠点の中でも最たるものは、我慢できない人を相手にひたすら我慢するのではなく、その人への批判を率直に言うことです。しかもこれは人生の後半に方向転換を決めた、確信的居直り行為です。
それは、イジメられても絶対にその人の悪口さえ言わなかった、またはイジメた人を下手にかばって「恨みは墓場まで持って行く」ことを矜持としている人たちが参考になっています。
例えばこのような人たちは、その点だけでも相手に感謝されているかというと、そうではありません。むしろそれを利用されイジメられっ放し、無礼を受けっ放しで、少しも浮かばれることがないことで共通しています。
人格が高い人の場合は別ですが、このような「被害者」に、ストレスで病になったとうわさされる人が本当に多いのです。
それで私は、とても失礼で、再三の忠告にもかかわらず、数年耐えても改まらなかった人とは、(ごく数名ですが)きっぱりと縁を切り、遠慮なく悪口を言って、ストレスを発散しています。
一方的な欠席裁判で、言った後は「唇寒し」の感なきにしも非ずですが、その人の存在がどうでもよくなるという意味で、1人でお腹にためておくよりずっと健康によいと居直っています。要は、身の丈より善い人に見られなくてもいいと割り切ったのです。
ならばいつものパンプキンのコメントは、きれいごとを言っているのかと問われれば、決してそうではありません。
「感情のすれ違いや不満や抗議は、通じない相手でも、一度は必ず伝えましょう」「誠意の通じない人や尽くしがいのない人との縁は損切りしよう」と言い続けてきました。一応、言行は一致していますね。
というわけで、私はあなたの目標になれる人ではないことを、勇気をもって告白しました。
最後に、私が大切にしている生き方の3指針を強調します。
「人の一面だけを見て過大評価すると、コンプレックスのもとになる」「人の批判に過剰反応したり、またはできないことを数えてストレスをためてはいけない」「できることを誠実にこなしながら、人に喜ばれた体験を生かそう」――この3つが、心静かに生きるための3大要件だと申し上げたいと思います。