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思春期に入った発達障害の子供との向き合い方 「ゴールは1つではない」と伝えることが大切

岩野さんが運営する「HORIZON LABO OMOTESANDO」で。もともとは、群馬県の自宅兼店舗の一角で始めたコーヒー豆販売店。通販用の豆を焙煎する工場かつ、焙煎研究の場でもある

岩野さんが運営する「HORIZON LABO OMOTESANDO」で。もともとは、群馬県の自宅兼店舗の一角で始めたコーヒー豆販売店。通販用の豆を焙煎する工場かつ、焙煎研究の場でもある(撮影:今村拓馬)

心身ともに大きな変化を迎える思春期に差し掛かると、発達障害の特性を持つ子どもたちの困難は、さらに際立つ。その壁をどう乗り越えていくか。

横浜市に住む母親(47)は、次男(17)がASDと診断されている。中1のとき、学校に行けなくなった。母親は振り返る。

「息子には暴言も吐かれたし、殴られたこともあった。次々にいろんな困難に陥って、底無し沼のような日々でした。いったい、どこが底なの?って」

入学当初からつまずいた。ほかのクラスの生徒にからかわれ、小競り合いになったのだ。次男がほかのクラスに立ち入ったところで教員にとがめられた。

非難の矛先が、挑発した友人でなく自分に向けられていることに納得がいかず、思わず手を上げた。

学校側はすぐに配慮をしてくれなかった

衝動的に行動してしまうのも発達障害の特性の1つだ。事前に学校側に発達障害のことは伝えていても、新入学の段階では配慮されなかった。すぐに学校から両親そろって校長室に呼び出された。本人のいる場で学校側からこう告げられた。

「教員を殴るのは、立派な犯罪。次回は、警察を呼ぶぞ」

次男は中1の夏から不登校になり、ゲーム三昧の日々に。瞬く間に昼夜逆転の生活になった。冬になると、ベッドが生活拠点となり、一切言葉を発さなくなった。起こしに行っても「ウー」とうなるだけ。名前を呼んでも壁側をぼんやり見たままで、目の焦点も合わない状態だった。

発達障害を含めて、困難を抱えた生徒を積極的に受け入れている通信制の明蓬館高等学校(東京都品川区)校長の日野公三さんは、子どもの自立を邪魔しない言葉がけを勧める。学校現場の課題をこう指摘する。

「平成に入ってから、国も特別支援教育を加速させてきた。教育、指導だけでなく、『適切な支援』が必要で、最終ゴールはその子の自立支援だとも通知通達文でうたっている。それが現場に浸透していくことがこれからの課題ですよね。表面に出ている子どものサインは氷山の一角。先生が子どもたちより先に困ってはダメです。学校現場に『子どもを観察する目と手(人員)』が、足りていない」

前出の横浜市の親子は、中2から理解ある担任に恵まれ、徐々に落ち着きを取り戻した。受験を意識し、中3から「時間差通学」できるようになった。

思春期に当事者たちが直面するジレンマの1つが、親と子が「障害をどう受容していくか?」。

理解の度合いに応じて伝えていく

漫画家のかなしろにゃんこ。さん(49)は、息子(21)の「発達の段階と理解の度合いに応じて」3回に分けて伝えてきた。

息子にADHDと軽いASDがあるとわかったのは小4のとき。精神科のクリニックに通い、「僕、何か病気なの?」と聞かれ、答えに窮した。3学期になり、思い切って伝えてみた。かなしろにゃんこ。

『うちの子はADHD』(講談社)から。思春期の息子と母の親子喧嘩や、金銭感覚をどう身につけさせたかなど、実体験を赤裸々に描く

「あなたはずっと座っていられなかったりするでしょう? それはね、ADHDっていう発達障害があるからなの」

かなしろさんは、息子が障害の特性を理解したら、工夫して特性をカバーする段階に入っていけると考えていた。だが、響いているように見えなかった。中2のとき、息子が学校の友人とのけんかの愚痴をこぼしたタイミングで本格的に伝え直した。

「ADHDだから、どうしても熱くなっちゃうよね? だけど、『俺はダメなやつなんだ』なんて思わなくていいよ。発達障害のある人は割と偉人に多い。スティーブ・ジョブズもそう。天から授かった才能なんだから」

息子は肯定的に捉え、「このときから、息子に『俺は選ばれた人間』くらいの陽気さが出てきた」とかなしろさんは振り返る。

社会的な理解が進んだ高校生になってからは、「あなたの中に障害があるのではなくて、あなたが成長する段階で、まわりに段差ができる。そのまわりの段差が障害という意味だよ」ということも伝えた。

20歳を過ぎた頃、息子に言われたことがある。「僕は今まで人と違う行動を取り、感性が違う理由は『だからなんだ』と理解はできた。でも最初は地獄かと思ったよ。『障害』という言葉がとても引っかかったんだ」

かなしろさんは言う。

理解できるキャパが年齢ごとに違う。いっぺんに障害を理解してもらうのは難しいから、スライド式の伝え方はお勧めです

コーヒー焙煎(ばいせん)士として活躍する岩野響さん(18)は、小学校中学年でASDと診断を受け、中学校時代に不登校を経験した。

「僕の場合は全部がズタズタだった。提出物? 板書を写して授業を聞く? そういう決まったことみたいなのが、根本的に不可能に近かった」

コーヒー焙煎の道に進み、講演も行う

両親は「そんなに苦しむなら、学校に行かなくてもいい」と伝えた。その分、家事や家業の染め物を手伝わせた。岩野さんは料理にハマり、カレーの隠し味に入れたコーヒーにハマり、コーヒー焙煎の道へ進んだ。

今や、焙煎を研究する「HORIZON LABO」を立ち上げ、焙煎豆を販売。表参道に店舗も出した。講演で人前にも立つ。

「多くの人は、いい学校を出ていい仕事に就いて、という順番で考える。僕の場合は、仕事がゴールじゃなくて、学校に通えないから仕事をしている。ですが、仕事を始めてみたら、必然的に人に会い、自分の趣味嗜好に合ったコミュニティーができて、苦手だったコミュニケーションも克服して、という感じです。『そういえば自分は発達障害だったっけ』くらいに昔のことを消化しています」(岩野さん)

思春期の渦中は、発達障害の子も親もともに苦しむ。岩野さんは実体験から、心を軽くする方法として「ゴールは1つじゃないと発想してみる」を挙げた。

(ノンフィクションライター・古川雅子)


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